ニューヨーク人たちは盛んにほえた。そこは、世界で一番おしゃれとうたわれたまち「ジョン@トラボルタ」。ひとびとは主に赤い粉と緑の粉を混ぜ合わせたやや茶色い粉を地面にまくことを生業としていた。なお人々がまいた粉は近くに住む原住民たちの手によってすぐさま赤い粉のなる木と緑の粉のなる木になっていった。町はつねにおしゃれが咲き乱れ高度経済成長に伴いそこかしこで緑の粉が吹き荒れた。人々は豊かな生活を得るために赤い粉を各国に輸出した。そのため緑の粉が国中であふれかえった。赤い粉に比べて緑の粉は少しばかり苦かったせいもあり、低カロリー高コレステロールをうたう粉産業界では緑の粉はあまり歓迎されない形になったわけだ。
その余波を受け南に住む茶色いけれど少し寝癖が目立つ力持ちたちは「味彩」で毎週火曜日に行われるテンカスかけ放題の日を誤って毎週水曜日だと思い、その右腕には見方によってはそうとも見える妖精がすみついた。人の心とは移ろいやすく、同時に時代の中の必然か、ニュージーランドをはじめとする諸国ではマヨネーズの密輸が始まり、主食に事欠かなくなったキューピーたちはもはやデボラがライバルなどとのたまわっていられなくなり、ゲリラ集団となり御徒町界隈で猛威を振るいだした。
この出来事は日本の風紀問題の根底のあり方に対して一石を投じ、時の総理大臣は100カ年計画とした後に俗で言う「全国総カリフラワーシンポジウム」を開こうかと思ったが不意に近所のコンビニにFAXがないことに気づいて辞職した。この当時のいきさつに詳しい経済アナリストにいわせると「いいかげんこの薬指辺りにあるモッコリしていてそれでいて易者にいわせれば結婚運やらにかんけいした?え?あーキシリトールにたこの足とかいただけないかな?」と、おもだった科学者たちとほぼ間逆の意見を述べることがあるが、それは決して毎朝コーンフレークに真水をぶっ掛けたものを食わせているからではない。むしろ東洋ではそれがスタンダードだということを覚えておいてほしい。
しかし、この出来事から20年が過ぎた現代、問題はむしろ当時より深刻化しており似非バブルが崩壊したことによる長引く不況は人々からすべてを奪っていった。その波をもろにかぶった形になる南亜の某国では、拾ってきたペットボトルにあからさまな情熱を傾けることと、情熱を傾けている人を後ろから白くて角が尖っているけど比較的やわらかい物と黒くて角はどちらかといえば滑らかだが密度が詰まってさりげなく硬いもので交互に殴りつけるといった行為が46歳まで義務化されている始末である。しかし、彼らのそういった行いがあってこそはじめて我々が近づくだけでスズメがそれは容赦ない勢いで飛び立つことにつながっているという風に考えれば、まんざら捨てたもんではないのかもしれない。もちろんその間には愛は存在しない。