心を解き放つのです。
それは、時にとてもつらいことなのです。
私は人生で絶望を知りません。
ゆえに、絶望に打ちひしがれた人の気持ちもわからず、
また絶望から自分を救い出してくれた人も知らず、その人がかけてくれた一言も聞き逃しているのです。
ゆえに、理解されません。
理解しようとすれば、そこに壁を感じられ、その正体なき障壁により、交じり合うこともなく、
ただただ、鍵の壊れた公園の便所で、内側から押せば壊れる番を抑えながら、全裸で便器に糞をたれる弱者なのです。
おなかが痛くなれば、糞をたれ、外気の冷たさから身を守るすべもなく、人に見つかることを極度に恐れつつ、いつ見つかるかもしれないという緊張にたえつつ、本心では、この番をこわし、誰かが発見してくれることを切に祈っております。
が、発見されたとき私は全裸であり、それはつまり公衆ではありえないことであり、いろいろな詮索もされることでしょう。
そのときなんと答えればいいのか。
それはわかりません。
素直にそのとき、なんと口にするか。
それは羞恥の心からでることばなのか?見つけてもらえた喜びの言葉なのか?
はたまた、自己防衛からくる罵倒の言葉なのか。
わかりはしない。
わかりはしないが、便器にまたがっている以上、糞をたれねばならぬ以上、
私は、寒さで腹が、腸がなる前に、無理をしても、自分の醜態をさらすために、
今日もエビオス錠を10錠のむのです。
それは整腸剤。
内面を整えてくれるのです。
だから安心して午前4時。
迎えております。
ではでは